"世界最古のエクササイズ"ルーシーダットン物語
日本において短期間で一気に広まったルーシーダットン
「ルーシーダットン」は、アジアの修行僧が行ってきた自己整体術として、4千年以上の歴史を持つ運動療法です。
日本では全く知られていませんでしたが、2004年にタイ国を特集した『ウルルン滞在記』『世界ふしぎ発見!』(共にTBS)などによって初めてメディアに紹介され、その後、2005年に設立された日本ルーシーダットン普及連盟の活動により、一気に日本全国に広がりました。
当連盟が2005年の創立から約3年の間に出演したメディアは、メジャーな雑誌・新聞で延べ100回以上、TV出演もキー局だけで50回以上を数え、当時の人気番組であった「学校へ行こうMAX」(TBS)、「ナイナイサイズ」(日本テレビ)、「TVチャンピオン」(テレビ東京)の3番組は高視聴率で、翌日は連盟のホームページのサーバーがダウンしてしまうほど、アクセスが殺到しました。さらに、少年隊の東山紀之さんや女性お笑いトリオの森三中さんなどがポーズを紹介するなどして、大きな話題となりました。
このようなメディアでの拡散を背景として、2006年度Google検索ランキング(健康・美容部門)においては「ルーシーダットン」というワードが年間14位につけ、まさに社会現象に近いブームを巻き起こしました。
これほどまでに短期間でルーシーダットンが広まったのは、当時のヨガ・ブームがピークに達する中、「ヨガは難しそうだから・・」という市場のフラストレーションに対し、「誰でもできる自己整体」という打ち出し方がそのニーズに応えたからでしょう。
ルーシーダットン=瞑想修行する僧が編み出した自己整体術
連盟初のルーシーダットン教室は神奈川県藤沢市のムエタイのジムで開催
連盟設立後間もなく全国でブームが起こり、TV、新聞、雑誌などの取材が殺到
世界最古の「運動療法」
人間は「動物」の一種です。動物は、植物など他の生物グループと違い、筋肉や関節などの組織を持ちます。動物はそれらを動かしたり刺激したりすることで、全身のホメオスタシス(健康を保つための身体に備わった様々な機能)が正常に保たれるようになっています。すなわち、動物たる人間も、身体を動かすことによって健康状態を正常に保つような生理システムとなっているのです。
人が行う活動で、筋肉や関節を刺激するものを「身体活動」と呼びます。身体活動は、仕事や通勤など生活の中の必然的な「生活活動」、身体を動かすことそのものを目的として行う「運動」の2つに大きく分かれ、さらに運動は「スポーツ競技」と「運動療法(エクササイズ)」に分けられます。
現代日本においては、「運動不足」という言葉が表すように、身体活動が十分に行われないことで健康や身体機能が損なわれることが起こりがちです。そこで、健康や身体機能をキープしたり、改善したりする目的で行われるのが「運動療法」です。
運動療法は、人類誕生から現代までのほぼ大半の時代はあまり必要とされないジャンルだったと言えるでしょう。家電もエレベーターも存在せず、公共交通機関も一般的では無かったほんの100年前までは、人は「生活活動」において十分に筋肉を使っていたからです(一方の「スポーツ競技」も、現代のように気分転換や健康増進の目的では行われることは多くなく、主に職業能力や戦争技術の向上のための訓練・教育目的として行われてきました)。
人が生活活動を行う上で、どの時代・地域でも、加齢による身体機能の低下、怪我による機能障害、労働によるコリや疲労など、身体のトラブルが起こります。しかしそれらを解決するために運動を行う、という発想は無かった人類の歴史の中で、ルーシーダットンは世界でもっとも古く、また稀有な”運動療法”として発展してきました。 その成立の背景には、アジアの古代宗教における過酷な瞑想修行があります。
運動療法=エクササイズは現代では欠かせない生活習慣
タイの代表的競技「ムエタイ」は軍隊のスキルとして発達
ルーシーダットン(Rusie Dutton)とは
「ルーシーダットン」は、古代インドで使われていたサンスクリット語(梵語)が語源で、タイ国に伝えられる言葉です。本来の発音をローマ字的に表示した場合、“RISI DATTON”(リシダットン)となります
“ルーシー(リシ)”とは、「修行僧」「ヨーガの実践者」の中で最高峰とされる者たち。「厳しい修行を行って神々と交信できるようになり、人と神を繋ぐ“聖仙”」を意味する場合もあります。ガンジス川上流にある世界的に有名なヨーガ修行の聖地「“リシ”ケシ」も、同じ由来です。歴史上のRISIの最高峰がブッダであり、そしてそのブッダの弟子で主治医でもある“タイ伝統医療の父”がジーヴァカとなります。
仏教国ではルーシー=RISIは神と同様に崇拝される存在です。タイの寺院では他の仏像とともにルーシーの像が設置され、訪れる客たちの参拝を誘います。仏像ショップでも人気商品ですが、「他の神様と違って人間だから海外に持ち出せる」とは、バンコクの仏像露店商の弁です。
なお、中国独自の宗教『道教』の「仙人」や、日本独自の宗教『修験道』の「山伏」など、人間が自然の中で瞑想・修行などを行い、その中で深山の薬草に長じ、不思議な能力や不老不死を身に付けて神に近づいていくルーシー(RISI)と似通った伝説は、アジア全域に見られます。
“ダットン”は語源不明のタイの古語で、“ダッ”は「正しい状態に整える、戻す」、“トン”は「自分で、自己」を意味します。 この2つの言葉を合わせた『ルーシーダットン』は、「行者の自己整体」「お坊さんのストレッチ」「仙人体操」などの意味で伝えられます。
ルーシー(RISI)はヨーガ=古代宗教の瞑想法の実践者
“最高のルーシー”であり、医聖としても知られる「ジーヴァカ(耆婆)」
前述のように、運動不足に陥ることがない古い時代にこのような系統的運動療法が生み出されました。その稀有な背景には、インドの古代宗教(バラモン教)や、その発展形である仏教・ヒンドゥー教があります。修行僧たちが行う長時間の瞑想には身体の痛み・歪み・冷えなどが伴い、それらを解決するためにルーシーダットンが開発されたのです。
日本では、ルーシーダットンはタイから導入されたことから、“タイ独自のもの”として捉えられがちです。しかし、元来はインドの古代宗教の修行における身体術の「アーサナ」が原点という認識が正しいものになります(この場合の“アーサナ”は、現代ヨガにおいて意味するポーズとは少し意味合いが違ってきます)。
例えば、遠く離れた仏教文化の到達地であるチベットの寺院には、タイのルーシーダットン古書によく似た“アーサナ”を行う修行僧たちの壁画が残されています。同じく、日本でも一時期ブームとなった『チベットヨガ』と呼ばれる操体法は、呼吸法とポーズの相関性にルーシーダットンとの共通点を見出せます。
実際に、西暦1000年前後にチベット僧たちがタイを訪ね、数年間に渡って様々な交流を行ったことが記録に残っています。 また、19世紀にワットポーの修行僧がインド北部の村を訪ねた際に、ルーシーダットンそっくりの自己整体法を目撃したという記録も残されています。
日本の山伏、中国の仙人など、ルーシーと似た思想・伝説はアジア各地に残る
チベットのジョカン寺の聖室に残されるRISIの壁画
ルーシーダットンとヨーガ、ハタヨガとの関係
ルーシーダットンの起源としてよく言われるのが、「ヨガ説 」です。タイの国立図書館にある伝統医学者の研究文献の中には、タイ古式マッサージが古い時代にアーユルヴェーダを起源としてインドから伝わったとする説を根拠に「ルーシーダットンのポーズもインドヨガを起源とする」という説が書かれています。 しかしこの説は、ヨガの歴史の流れを辿っていった場合、完全な矛盾が出てきます。それどころか下記に示すようにむしろ逆で、ルーシーダットンの方が現代ヨガのポーズの起源の一つであると考える方が、自然であると思われます。
“ヨガ(=正式発音でヨーガ)”は元来、色々なポーズを取りながら行うものではなく、ましてや現代のような運動療法を目的としたものではありません。その語源はサンスクリット語で馬などを繋ぐ頸木(くびき)「Yudi」であり、“内界と外界、自己と宇宙を繋ぐ”ことが目的の修行法です。ここからは、南アジア古代宗教を根源とする瞑想をメインにした修行法を「ヨーガ」、ポーズをメインにする運動療法的な要素が強い修行法は「現代ヨガ」と表していきましょう。
ヨーガは日本には、飛鳥時代に仏教の一派「瑜伽宗(ゆがしゅう)」として導入されていました。その後、空海が行った真言宗は、当時の「マントラ(=真言)ヨーガ」の最先端を日本に持ち込んだものであったとされます。また、東名高速道路の起点で、東急電鉄の駅名にもある世田谷区の「用賀(ようが)」という地名は、瑜伽宗を起源とする瞑想を盛んに行ったお寺の存在がその起源です。
ポーズをとる現代ヨガは、「ハタヨガ」のジャンルに入ると言われています。3~5世紀にまとめられたヨーガのもっとも古い経典「ヨーガ・スートラ(瑜伽経)」には具体的なポーズを示す記述はありませんでした。現在のようなポーズらしきものがヨーガの経典に初めて現れるのは、15世紀にまとめられた「ハタヨーガ・プラクディピカ」です。しかしそこで紹介されるアーサナ(ポーズ)も、その数はわずか18に留まります。
小学校の授業のカリキュラムにもヨーガが必修となっているネパールでは、専門家ではない一般人ですら、「いわゆる世間一般の“ヨガ”のポーズは外国から逆輸入されたものであり、身体を動かすヨガは本来とは異なる、邪道ヨーガだ」と異口同音に切り捨てます。実際、現代ヨガで行われているポーズの大半は、20世紀前半に欧米などで体操やストレッチをベースに考え出されたものです。
そういった意味で、ルーシーダットンこそ、古い時代のヨーガ操体法を現代に伝える唯一の歴史遺産であると考えられます。逆に、ルーシーダットンが現代ヨガのポーズの元となったものである、と考察すべきでしょう。これはあくまで私独自の研究によるものですが、根拠がある新説として、2009年のアーユルヴェーダ学会で発表させていただきました。
現代ヨガのポーズの大半は欧米から“逆輸入”されたもの
ヨーガはチャクラを開き、神との合体=サマディを目的とする瞑想修行(インドの古絵)
アーサナとはサマディを実現するための体位(モンゴルの瞑想寺の風景)
タイに残ったルーシーダットンの原型
東南アジアのタイの伝統医学は、アーユルヴェーダ、チベット医学、中医学、そして地場の民間医療がミックスされています。ルーシーダットンはヌワットボーラン(古式マッサージ)、サムンプライ(タイハーブ)と並び、現在ではタイ国3大伝統医療として位置づけられています。それは現代のように国が明確に分かれていない時代から、これまで述べてきたようにアジア南部全体で修行僧の操体術として受け継がれてきたルーシーダットンが、オリジナルに近いまま実践する文化が受け継がれてきた唯一の国である証でしょう。
この修行僧の操体術は、2000年ほど前にインドからタイへの仏教文化の伝来とともに、伝わったとされます。 タイ国内にはこの歴史的事実に裏付ける様に『ジーヴァカ・ゴーマラバット(耆婆、ぎば) という高僧がタイにアーユルヴェーダをもたらし、タイ伝統医療を完成させた』という伝説が残ります。ジーヴァカはブッダ(釈迦)の高弟であり、そして主治医でもあった実在の人物です。世界各地の寺院にはブッダが入滅(亡くなる)直前の絵画や像(「寝釈迦」「釈迦涅槃像」などと呼称されるもの)があります。その危篤のブッダの横で脈を取ったり看病をしたりする人物が、ジーヴァカです。日本においては“世界最古の木像”とされる法隆寺五重塔(国宝)、和歌山県の了法寺涅槃堂、香川県高松市の法然寺などで、その姿を見ることができます。
ジーヴァカは当時、難しいとされた数々の治療を成し遂げ、世界で初めての開頭手術も成功させました。中国の春秋時代の名医である扁鵲(へんじゃく)や、“医学の祖”といわれるギリシャのヒポクラテスと並び、世界最古の名医であり、アーユルヴェーダ史上の屈指の達人としても知られます。つまりルーシーダットンは「アーユルヴェーダの運動療法」ともいえるかもしれません。
危篤のブッダの横にまつられるジーヴァカ像(タイ、バンコク)
”ヌアット”=古式マッサージ、”ルーシーダットン”、”サムンプライ”=薬草療法がタイの三大伝統医療
タイ伝統医療のルーツ「アーユルヴェーダ」(スリランカ)
ワットポーにおける伝統医療とルーシーダットン伝承
ルーシーダットンはタイで受け継がれてきたものの、資料としてはほとんど残されたものはありません。伝統医療に限らず、全てのタイの古典記録の共通点としては、かつてタイの首都であったアユタヤがビルマ(現ミャンマー)との戦争により、ほぼ焼き尽くされてしまったことです。
タイ伝統医療の古典資料として現在、もっとも古いものとして認識されているのは、1661年に編集されたとされる『Tamra Phra Osot Phra Narai(ナライ王の薬局方)』です。1600年代のアユタヤ朝においては、医学経典はパーリ語でヤシの葉に書かれていましたが、1767年に起きたビルマ侵略戦争によりそのほとんど全てが消滅してしまいました。
ビルマ戦争の約15年後、現代タイ復活の祖となったラーマ1世は、チャオプラヤー川の東岸にあった古寺「ワットポー」を改装しました。そして、1782年〜1788年の間に、境内の壁や飾り額、大理石などに失われたタイの伝統文化の情報を集積して、大学的な機能を持たせました。伝統医療の知恵も様々な形で記録され、ルーシーダットンのポーズは、粘土で作られた像によって再現され、展示されました。
その後、ラーマ3世の時代の1836年頃には、劣化したルーシーダットンの粘土像を、亜鉛と錫を材料に作り直すプロジェクトがスタートしました。その時に作られた80個の像は、座位が57個、立位が20個、寝位が1個、そしてタイ古式マッサージの源となったと言われる2人で行うポーズが2個あり、16の区画のあずまやなどに展示されました。それぞれのポーズのやり方や効能、また実践している仙人の名前や特徴などは散文(詩)にして大理石に刻まれ、寺院に来た人が誰でも見られるように、像の下に配置されました。
同時代のワットポーは、施術(マッサージ)や薬草を施す病院の役割もありましたが、その彫像と散文を参考に、マッサージを行う前に “身体に火を入れる(身体を温める)” 準備体操的なものとしてルーシーダットンが行われていました。また、遠方で頻繁に来られない人たちが帰宅後も健康を保つため、ルーシーダットンのポーズの絵や方法を書き写したそうです。 この散文の作成にはラーマ王本人を始め、政府高官や僧侶、医師、詩人、そして市民も参加し、現代もワットポーの境内に飾られています。しかし劣化が激しいことに加え、タイ古語によって書かれているため、現代タイ人も理解が難しいものとなっています。
なお、これらの像は大変残念なことに、20世紀初頭より西洋医学の進出に伴い、アジア中の伝統医療が駆逐されたことをきっかけに、80の像のうち62個が20世紀に盗掘されました。1895年には、スックという名の王宮警護員が16体もの彫像を盗み出す、本末転倒ともいえる事件が起きました。これがもっとも有名かつ大量に盗掘された記録です。私にルーシーダットンの日本導入を勧めたワットポーマッサージスクール元校長のPreeda氏が、「ヨーロッパのお金持ちの屋敷の庭に行けば、オブジェとして飾られているルーシー像が見つかるでしょうね」と笑いながら仰っていたのを聞き、複雑な気持ちになったことが思い出されます。
その後、盗掘を逃れた18の彫像は、境内のマッサージ舎の前に移され、まとめて展示されました。その後の2018年、盗掘された像はすべて再建され、昔日のようにワットポー敷地内に展示されています。
焼き尽くされた古都アユタヤの遺産(切り落とされた仏像の首が木に取り込まれている)
ワットポー境内に掲示される伝統医療の身体構造図
ワットポー境内で遊ぶ子どもたち(髪を結った子供が医学生の卵)
ラーマ3世により19世紀に作られたルーシーダットン石像
再現作成中の盗掘されたルーシー像;2018年よりワットポー境内で公開
僅かに残されるタイ国内のルーシーダットン資料
タイ国内に残る唯一ともいえる書面の古い資料の源は、ワットポー内の散文を基に19世紀にまとめられた『Samud Thai Khao』です。1838年にラーマ3世は、一般庶民の健康維持のためにルーシーダットンが普及するよう、木板に蝋を塗って刻む横型版画集を作成しました。そして1929年には、『Samud Thai Khao』の紙版が出版され、その小冊子が貴族や軍人などの社会的地位が高い人々の葬儀の引き出物として配布されたという興味深い記録も残されています。
『Samud Thai Khao』は1974年に書籍としてさらに再版され、国立図書館にて誰でも閲覧することが可能です。 なお、1958年には『Samud Thai Khao』を元資料とした『WatPho The Book of Medicine』が出版されましたが、掲載されるポーズには作者の独自解釈に基づくものや、出所不明なポーズが含まれています。
現在のタイ国内では、この『Samud Thai Khao』や『WatPho The Book of Medicine』を元資料にしたルーシーダットンの歴史やポーズを現代版にまとめた書籍が数冊出版され、書店や古本屋などで手に入ります。 保健省監修で伝統医学校の参考書でもある小冊子には、タイ古式マッサージ師の体調管理の必須アイテムとして、数種類の原型ポーズをミックスしたフロースタイルの15ポーズと、呼吸法がともに掲載されています。 同じく保健省によって1995年に監修された書籍『THE HERMIT ART OF CONTROTING THAI TRADITIONAL MEDICINE』には、同省認定の127個のポーズがカラーで再現され、タイ語および英語の解説で紹介されています。
なお現在、タイ国内において展示されるルーシーダットンの像や絵画は、前述のワットポー寺院内の遺跡の他、下記の4つの場所が挙げられます。
1.ソンクラー市のWat Matchimawa(ワット・マチマワット) ここにはサラレウシ(隠者のパビリオン)があり、ラーマ3世および4世の治世(1836~1846年)に描かれた30個の座位と10個の立位のカラー絵画が、ワットポーに書かれる散文とともに展示されます。タイ国内のワットポー以外で唯一、古い時代に作られた伝統遺産です。
2.ノンタブリー県にあるタイ伝統医学研究所 1978年のWHOによる「アルマアタ宣言」の影響において、タイ国内にも伝統医療を復興する運動が起こり、1992年にはノンタブリー県にある保健省敷地内に伝統医学研究所が開設されました。その中にある博物館内にはルーシーが修行する山を模したミニチュアが、および庭にも仙人の岩山が再現され、そのポーズは『Samud Thai Khao』および『Wat Pho The Book of Medicine』を参考にしています。
3.サムットプラカーン県にあるムアンボーラン公園 タイの伝統文化の野外博物館であるこの公園には、一部、ワットポーのものとは違った80個のポーズの石像が再現され、展示されています。
4.バンコクにあるシリラート医学博物館 マヒドン大学のバンコクノイキャンパスにある同博物館では、タイの伝統医学の資料とともに、『Wat Pho The Book of Medicine』をベースにした60の木像が展示されています。
当連盟では、タイ国内に残るこれらの多くの資料を現地取材、および専門家による日本語に翻訳または意訳を行い、徹底的に研究し、200ポーズ以上の再現を完成させました。現時点ではそのうちの約120ポーズを、講師養成コースなどで教えております。
ルーシーダットンのポーズをまとめた版画集「Samud Thai」
タイ保健省管轄の伝統医学校で使用されるルーシーダットン教本
タイ南部のワット・マチマワットに残る18世紀に描かれたルーシーダットン古絵
ノンタブリー県のタイ保健省敷地内の伝統医学研究所ガーデンにあるルーシーダットン像
サムットプラカーン県のムアンボーラン公園に再現されたルーシーダットンのポーズ像
タイ国内現状と、アジア伝統療法としての未来
ルーシーダットンは古い時代に南アジアの古典宗教に端を発し、タイ国内で恐らく原型を残しながら独自の発展を遂げました。しかしそのタイ国においても、現在に至ってはルーシーダットンが一般的に盛んに行われているとは言い難い状況です。20世紀初頭から始まった西洋医学の導入や禁止令を経て、100年近くに渡り軽視された伝統医療においては、特に市民に忘れられつつある療法で、若者の間ではその名前すら知らない人も多くなってきました。
現在、公的にそのポーズを実践しているのは、保健省の伝統医学校のタイ古式マッサージ師養成コースの必修科目(15ポーズほど)、並びにタイ伝統医療の継承地であるワットポー寺院の敷地内にて、主に観光客向けに毎朝行われるフリークラス(立位を10~20ポーズほど)の、2つのみといえます。 その他、昨今の日本のルーシーダットンブームに便乗して、海外向けの私営タイ古式マッサージスクールなどで教室が開催されています。しかし、教えられるポーズや理論は統一されておらず、しかも講師の大半はそのスクールで初めてポーズを教わった人材であり、“継承されてきた伝統療法を教える本場の学校”という謳い文句に相応しい教室は皆無といえます。
現代ルーシーダットンがもっとも盛んに行われている国は日本であり、実際のポーズの実行による健康・美容効果についての現場経験や研究、さらにアジア全体に視点を置いた歴史研究なども、当連盟が世界でもっとも集積していると自負しております。 それらを、当ホームページや書籍、また講師養成コースなどで伝えることで、アジアの宝の知恵であるルーシーダットンを未来に伝えていくべく活動していく所存です。
ワットポー境内マッサージ舎の前では毎朝8時にルーシーダットンが行われる
日本ルーシーダットン普及連盟監修のルーシーダットン書籍は8冊、DVDは7本を数える
ルーシーダットン人口は日本が世界でもっとも多い(スタジオでの様子)